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改めまして、ブリティッシュ・インベンションについて

 以前取りかかって中断しておりました、今回のタイトル「ブリティッシュ・インベンション」についての記事を発見いたしましたので 仕上げということでここでご紹介しておきます。バカラックさんとブリティッシュインベンションについての関わりは、バカラックさんの初期作品集の「マスターピース vol.1」がそこそこ詳しいので そちらからの転載ということで 記事を書きかけたのですが 挫折しておりました・・・・。(根性無しでごめんなさい。)

 さて、今回はもっと詳しい記事を萩原健太さんが別冊スイング・ジャーナルの「POPS 名曲名盤」に寄稿なさっておられたのを見つけました。

 ちょいと長いのですが この頃を理解するのにはふさわしいと思いました。

 タイトルは「ビートルズを生んだ港町リバプールには350ものバンドが・・・」です。

 350だと。
 350もいたのだそうだ。リバプールに。ロックンロール・グループが、有名無名を問わず、1962年当時のことだ。まだ、地元出身のビートルズが本格的な性向を収める以前の話。にもかかわらず、イギリス北部マージー川の河口にあるちっぽけな港町に、何と350組。驚かずにはいられない。
 原因は、リバプールがアメリカと強いつながりを持つ港町だったこと。つまり、地元の船乗りたちがなにかにつけニューヨークから煙草やらコミックやら最新のR&Bやアメリカン・ポップスのシングル盤を持ち帰ってきた、と。 おかげでリバプールでは当時、本場アメリカでも最先端だった初期のモータウン・サウンドや、ジュレルズをはじめとするガールグループが突然変異的に大当たり。それらを自分たちなりにカヴァーする若者たちのバンドが続々誕生していたわけだ。
 ムーブメントの中心地は、おなじみのキャバーンをはじめ、アイアン・ドア、リザランド・タウン・ホール、ジャカランダ、ビーチコマーといった小さなクラブ。そこにビッグ・スリー、ロリー・ストーム&ハリケーンズ、ビートルズ、キングサイズ・テイラー&ドミノズなど、地元の人気グループが毎晩代わる代わる出演し、イギリス風味を漂わせた彼ら流の軽快なR&Bを演奏していた。

-(中略)-

 こうしたローカルな盛り上がりが一気に英米音楽シーンの水面上に浮かび上がってきたのは63年アタマ。リバプールのレコード店経営者、ブライアン・エプスタインがビートルズの才能に目をつけて大手のEMIと契約を交わし、見事ビッグ・セールスをものにしたときだ。各レコード会社のプロデューサーやマネージャーがこぞってロンドンからリバプール詣で。めぼしいバンドを次々と青田買いしていった。サーチャーズ、スインギン・ブルージーンズ、マージービーツ、イアン&ザ・ゾディアックス、ジェリー&ザ・ペースメイカーズ、ビリー・J・クレイマー&ザ・ダコタス、シラ・ブラック、エスコーツ、モジョズなどなど。その後の数年間だけで、イギリスで200枚に上るリバプールのシングルがリリースされたという。だれもが新しいムーブメントに飢えていたのだ。

 初期の荒々しいロックンロール/R&B色を薄める傾向に進みつつあった米音楽会になんとイギリス人がロックンロール/R&B濃い強烈なビートをひっさげて殴り込みをかけてきたのだ。アメリカの若者もこのサウンドを大歓迎。リバプール出身のバンドは一気にアメリカのヒットチャートも占領してしまった。

-(中略)-

 が、このブームも長続きはしなかった。65ごろにはすっかり下火。結局生き残ったのはビートルズだけという情けない有様になってしまった。粗製濫造の行く末はいつの時代も同じ。情熱だけではショー・ビジネスという厳しいサバイバル・ゲームには勝ち残ることはできなかったという、それはそれはタメになるお話でありました。

ちなみにマスターピースvol.1のライナーノーツに書かれていましたことは バカラックさんの初期の作品例えば「Story My Life 」が本国アメリカより イギリスでのチャートが上位であったとか そういう事例を書かれていたのでした。
つまり1964年以前から バカラックさんは本国アメリカよりイギリスでも評価されていて このリバプールサウンド(正確にはマージービート)に取り込まれていったという経緯が書かれていたのでした。バカラックさん側(米国側)でしかけたものでは無く、むしろイギリス人の解するR&Bにバカラックさんのサウンドは自然と取り込まれたととらえるのが正しいのかもしれません。(あくまでも、まったり個人の見解です。)
それから「リバプールサウンド」の名付け親はどうも日本人であったみたいで、正確にはマージー川沿いの町々で発生したグループをマージービートと呼称していたのですが 日本に来たときは 後発のデイブ・クラーク・ファイブ(トッテナム出身) ローリング・ストーンズ(ダートフォード出身) フレディ&ドリーマーズ(マンチェスター出身) 等も含めたものをリバプールサウンドとして総称されたとのこと。これはこの記事内で萩原健太さんが書かれています。

今回は文章が長くて あまり私のブログにはふさわしくありませんでしたが 最後に一曲だけご紹介しておきます。以前のブリティッシュ・インベンションに付いての記事や「Trains and Boats and Planes」の曲のご紹介できなかったBilly J. Kramer and the Dakotasさんの作品です。1965年当時の物みたいです。

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バカラックさんと東京オリンピック 10月9日加筆あります。

このまったりブログはバート・バカラックさんの作品をご紹介しているブログでございます。

従いまして、ほとんどの事象を常にバカラックさんに関連づけて記事を更新しております。

常にネタ切れの恐怖と戦いつつ それでもYou Tube上でバカラックさんの作品を見つけたときの快感と喜びは何にも代え難い感動であります。

さて、この度は2020年に東京にてオリンピックが開催されることとなりました。1964年に同じく東京でオリンピックが開催されました。当時私は小学生でした。10月10日が開会式の日でありましたが その日の宿題がオリンピックの開会式を見ての感想文だけでありました。他のクラスの友達は通常の宿題と感想文でしたから 皆からうらやましがられたことをうっすらと憶えています。その時、担任の先生がおっしゃったことはしっかりと憶えています。「この東京での(と言うより日本で)オリンピックが開催されることは 恐らく君らが生きていく間にはもう二度とあり得ないであろうから、しっかりとこの日のことを憶えていて欲しいから 一切の宿題は出さない。そのかわり、一生一度のオリンピック開催をしっかりと自分の目で見届けておいて欲しい」と言われたのははっきりと憶えています。

その後、大阪での誘致等もございましたが 私の胸の内は先生の言葉がよみがえり「二度目のオリンピック開催はあり得ない」と思っておりましたから 誘致に失敗したときもさほどの落胆は感じなかったように思います。

さて、宿題の開会式についての感想文は・・・・・憶えていません。ただ、閉会式のときの方が印象が深かったのを憶えています。選手達が国毎じゃなく、バラバラに入場してきて 全くの無法地帯(?)状況で それでも選手達の笑顔はメダルを取ったとか負けてしまったとかと言うより 皆さんが緊張のピークからの開放感に満ちた笑顔笑顔が何か嬉しく感動したことを思い出しています。

そこでこの一回目の東京オリンピックが開催された1964年にバカラックさんはと言いますと 「Me Japanese Boy I Love You 」を 同年7月に Bobby Goldsboroさんに歌わせています。ちなみにこの曲はビルボード誌で74位になっています。
それから遅れること7年後の1971年に布施明さんが「バート・バカラックに出会った時」というアルバムで発表なさっています。わざわざハリウッドのA&Mスタジオで録音され、この曲だけでなく このアルバムへのA&Mレコードの関係者の中では好評であったと聞いています。しかしながら 私の持っている資料には布施さんについてのことは何も書かれていません。

今、一度布施さんには この曲のプロモートを再開していただき、第二回東京オリンピックの準公式曲にしていただけたらなぁと思っています。「準」としましたのは 公式曲はやはり日本人の手によるものかなぁと思ってしまうからなのであります。でも このエキゾチックなメロディは誰にも親しまれやすく、「おもてなしの心」を表現できるものとしては最高じゃないかなぁと思ったりもしてます。

以前にも私のブログでご紹介した高浪慶太郎さんの「みぃ・じゃぱにぃず・ぼうい(長崎弁)〜ある晴れた日に」をあらためましてご紹介しておきます。このPVには日本の原風景(多分長崎が主でしょうが 日本の原風景と言っても過言ではないと思います)が取り入れられ このPVも一緒に世界に発信されたらいいのにと思っています。

高浪慶太郎さんは元ピチカートファイブの一員であったそうですが そのピチカート・ファイブさんの同作品もYou Tubeではすぐに見つかりますので ここでのご紹介はいたしません。

次にこのピチカート・ファイブさんのカヴァーで外人さんが歌っておられる動画をみつけましたので ご紹介しておきます。

次もよくわかりませんが いい出来具合なのでご紹介しておきます。

ちなみに最後になりますが 私の心から尊敬してやまない、shoppgirlさんのブログでもこの曲を紹介なさっています。そして ありがたいことに訳詞(これももちろんshoppgirlさんご自身でです!!)もご紹介しておきます。

Long long ago in a land far away                むかし昔 遠い国に      
A little boy and a girl were so in love              恋する二人がいました
Standing neath the moon above, he said          男の子は月明かりの下でこう言いました

Me Japanese Boy, I love you, I do love you        僕は日本男児 君が好き 心から好きだよ
You Japanese Girl, you love me please say you do    大和撫子さん お願いだから僕を好きだと言ってよ

They carved their names on an cherry tree        二人は桜の木にお互い名前を刻みました    
Just like they've done in Japan since time began    日本ではずっとその様な事をしているようです
Then he gently held her hand, and said           そして彼は優しく彼女の手をとりこう言いました

Me Japaneses Boy, I love you, I do love you        僕は日本男児 君が好き 心から好きだよ
You Japaneses Girl, you love me, please say you do   大和撫子さん お願いだから僕を好きだと言ってよ

In a blue and white Kimono                    そして青と白の花嫁姿で
She became his happy bride                 彼女は彼のお嫁さんになりました         
From that day until this very moment           それ以来 片時も離れず  
She'd been standing by his side               そっと彼に寄り添いました            

Now they are old and from what I am told         今ではすっかり年老いてしまったけれど         
They're still in love just as much as they once were  昔と変わらずとても仲良く暮らしています 
Every night he kissed her, and said             そして彼はおやすみのキスをしてこう言うそうです                    

Me Japanese Boy, I love you, I do love you         僕は日本男児 君が好き 心から好きだよ
There is the way that it should be when love is true   僕は本当の愛が分かったよ
There is the way that it should be for me and you     君と僕はこうなる運命だったんだね

資料にはこんな記述もございました。
 A former guitarist in Roy Orbison's backup band, Bobby Goldsboro had left the Candymen with his boss's encouragement when a song he'd written and recorded("See the Funny Little Clown")looked like a potential hit. After Goldsboro's self-penned follow-up did't follow through, Bacharach and David pitched him what seemed like a tailor-made song. While not quite "See the Funny Little Clown Goes to Japan,"the arrangement merges an Oriental motif over a chord progression similar to the one on the earlier hit. Uniquely, no Japanese instrumentaition is used|-Goldsbor's 12-string acoustic guitar plays what would've been the Koto line-and there are no Japanese words beyond "kimono. " Any Asian exotica comes courtesy of the Old World gentility of the lyrics and a sentimental string arrangement.

 さて、実はこの英文につきまして 英斗さんに翻訳をお願いしておりました。ちょっと ご都合がつかず 日数がかかりましたが 実にご丁寧に段落毎に翻訳してくださいましたので 加筆修正させていただきます。

 一段落目 

 ロイ・オービソンのバックバンドの元ギタリスト ボビーゴールズボロがthe Candymenを脱退したのは 本人が書いた曲の「 See the funny little clown 」がヒットの兆しがあり 上司の勧めもあったからです。

 二段目

 ゴールズボロの次の次作が空振りに終わり、バカラックとデヴィッドは彼にぴったり来る作品を投げかけてみた。
「 See the funny little clown 」以前のヒット曲のコード進行は似ていながらもアレンジメントはオリエンタルな雰囲気をからませた作品である。

 三段目

 意外にも和楽器は一切使われておらず、琴のフレーズの様な箇所もゴールズボロの12弦アコースティックギターで表現されている。「KIMONO」以外は全く日本語も使われていない。
 
 最終段落

 アジアの異国情緒は古風で品の良い歌詞とセンチメンタルなストリングパートで構成されている。

以上が加筆部分でございます。

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バカラックさんとMarvin Hamlishさんについて

 今回は 先の私のブログ記事にいただいた まぁくさんのコメントについて ちょいと調べてみたことを書きたいと思います。
 ちなみにまぁくさんのコメントの一部をご紹介しておきますと、『バカラックとハムリッシュ.... 日本で言えば服部克久と宮川泰って感じでしょうか(笑)
お友達か仲悪かったかまでは知りませんが...ライバルでもあり、仕事仲間でもあり、元彼女を奥さんにされたりしてるので、多少複雑な間柄でもあったかと思います。

 まぁくさんにつきましては Blue Devilsさんの作品を教えてくださったり、さらにはMarvin Hamlischさんの「 Ice Castles」のご紹介もしていただき(すっかりこの作品も好きになっちゃいました!)感謝している次第なのです。
 ここでまぁくさんにお礼の意味も込めまして この記事を書こうと思いました。
 もちろん、Marvin Hamlischさんについてのみでも 充分に記事としては成り立つと思うのですが 残念ながら 私はMarvin Hamlischさんを語れるほどの知識はございません。

 ただ、映画「明日に向って撃て!!」でジョージ・ロイ・ヒル監督 そしてポール・ニューマンさん、ロバート・レッドフォードさんのチームが この映画に続いて作られたのが「スティング」でありました。このお3方の醸し出す雰囲気をもっと味わいたく観たのが「スティング」でした。そして この映画の音楽を担当されたのがMarvin Hamlischさんであったと言うことです。そして、その音楽も好きになりまして 迷わずこのサントラ盤を購入して聴き親しみを憶えました。
 「スティング」の映画は「明日に向って撃て!!」とは時代も背景も人物設定も全く違うものの 映画の中でもコンゲーム、そして最後は観ている観客の私達もあざむくというすごく面白い映画でありました。
 サントラ盤を聴いていて、さらにこのMarvin Hamlischさんが取り上げたスコット・ジョプリンさんのラグタイムも好きになって その後、買いに走りました。先ほど、ウィキペディアでMarvin Hamlischさんについて調べてみましたら 私と同じような人が多くいたようで この映画の後、スコット・ジョプリンさんの関連作品がすごく売れたとありました。

 Marvin Hamlischさんは作曲家でありますが 時代背景とかを考慮されてスコットジョプリンさんを扱われたのだと思いますが この時点でアカデミー賞の音楽部門で受賞を決定づけられたのではないでしょうか。

 今回は私のブログにしましては文章多めの珍しい体裁となります。ほんと下手な文章であることを先にお断りさせていただいておきます。

 さて、私の手元にあるバカラックさんの資料でMarvin Hamlischさんを検索してみました。 彼の名前が初めて出てきますのは ジャック・レモンさん、カトリーヌ・ドヌーヴさん主演の映画「 The April Fools 」でありました。1969年の作品であります。主題歌はもちろんバカラックさんで歌われたのはディオンヌ・ワーウィックさんでした。ちなみにビルボード誌で37位に入っております。しかしながら この映画全体の音楽スコアはMarvin Hamlischさんなのであります。

 実は私、この映画のサントラ盤を持っているのですが ここにはバカラックさんの作品であるディオンヌさんの歌は収録されておりません。ジャック・レモンさんとカトリーヌ・ドヌーヴさんの会話(それこそサウンドトラックですね)に続いて流れてくるのはパーシーフェイスさんの「 The April Fools 」なのであります。私の記憶では パーシーフェイスさんはCBSレコードに所属されており、このサントラ盤もCBSで制作されたものなので その関係からなのでしょうか・・・。
ライナーノーツにはバカラックさんについての記述はありますが ディオンヌさんの歌については一言だけ書かれています。版権が絡むからなのでしょうか・・・。私の持っている資料にはしっかりとその点が指摘されています。

 前半には今、ここで私が書いたことと同じ内容のことが書かれていまして(多分同じことを書いていると思います)その後に引き続いて
 「 Also not included on the soudtrack is a party sing-along of "I say a Little prayer " that predates My Best Friend's Wedding similar blowout by 24 years! 」と記載されています。

 つまりは音楽監督(と言うポジションなのかわかりませんが)の Marvin Hamlischさんはバカラックさんの「小さな願い」をパーティーシーンで使っておられるのですが (詳しくは私のブログ「サリー・ケラーマンさん」をご覧下さい)こちらもサントラ盤には入っていないのです。ただし、この映画の中では The Chambers Brothersの「WAKE UP 」 Californiano の「 SUGAR KITE 」など数曲はちゃんと収められています。

 残念ながら 少しだけ調べてみたのですが この頃の Marvin Hamlischさんとキャロル・ベイヤー・セイガーさんがご結婚なさっていたかは不明で さほどに調べることに執着はございませんので スルーしておきます。

 次に、バカラックさんの資料で Marvin Hamlischさんのお名前を発見しましたのは 後にバカラックさんとご結婚されたキャロル・ベイヤー・セイガーさんについての説明文の所で2箇所であります。そこにはキャロルさんと組んで作られた作品等についての記載がございますが ここでも特別年代の記載が無く 詳しいことはわかりません。

 ご参考までに  Marvin Hamlischさんの主な作品と(年)につきましては 上記の「スティング」と「追憶」が1973年。 キャロルさんと組まれた作品「私を愛したスパイ」(007シリーズ)が1977年。まぁくさんが教えてくださった「アイス・キャッスル」が1978年。そして「コーラス・ライン」が1985年となっております。あくまで代表作です。

 そしてバカラックさんとキャロル・ベイヤー・セイガーさんがチームを組みだされたのが1980年ちょうど。そしてご結婚されたのが1982年となっています。

 そして、1981年にキャロル・ベイヤー・セイガーさんはアルバム 「 SOMETIMES LATE AT NIGHT」を発表されます。このアルバムにはピーター・アレンさんとか ニール・ダイアモンドさんが参加されていますが このアルバムに収められている「 YOU AND ME 」のアレンジが Marvin Hamlischさんでエンディングをバカラックさんが担当なさっています。

 この距離感がバカラックさんと Marvin Hamlischさんとのご関係なのでしょうか・・・・。

 この後資料で Marvin Hamlischさんが最後に登場されるのが 1983年Peabo Brysonさんと Roberta Flackさんとのデュエットで「 Maybe 」がバカラックさん、キャロルさん、そして Marvin Hamlischさんの3人で作られます。

 結局、まぁくさんがご提議されたバカラックさんと Marvin Hamlischさんのご関係については さっぱり解明されませんでした。

 この記事の最後ではございますが 素晴らしい曲を作られた Marvin Hamlischさんとこの作品をご紹介くださった まぁくさんに謝意を込めまして  Marvin Hamlischさんのピアノソロで「 Ice Castles 」をご紹介して終わりたいと思います。まぁくさん また何かございましたら 教えてくださいませね。

あらためまして、まぁくさんに敬意と謝意を送ります。

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2001 16 citation bacharach

すみません。またやっちゃいました。本文を書いていたのですが 欠落させたまま更新しちゃいました。ごめんなさい。


さて、先日

今回は動画タイトルをそのまま いただきました。高松宮殿下記念世界文化賞の受賞者の発表がございました。日本でこんな賞があると言うのを全く知らずにいました。

実は以前にご紹介しました、「バカラックさんとスエーデン」と言う記事でスェーデン王室が設けているPolar Music Prize賞をバカラックさんが受賞なさったときのシーンをご紹介いたしました。

内心、日本でもやってくだされば バカラックさんの来日が実現するのになぁと思っていたのですが 我が日本国でも
高松宮殿下記念世界文化賞というのがあるのであれば ぜひともバカラックさんにも授けていただきたいものだと痛切に思っているまったりなのでございます。

ちなみに高松宮殿下記念世界文化賞(たかまつのみやでんかきねんせかいぶんかしょう、Praemium Imperiale)とは、1988年(昭和63年)に財団法人日本美術協会が前総裁・高松宮宣仁親王の「世界の文化芸術の普及向上に広く寄与したい」という遺志を継ぎ、協会設立100周年を記念して創設した賞である。とのことですので バカラックさんは十二分にその対象となると確信いたしております。

ところで 今回このバカラックさんのPolar Music Prize賞の授賞式に関する動画を発見いたしましたので 改めてご紹介したいと思います。

前半はこの授賞式に立ち会われたエルビス・コステロさんの祝辞と彼のパフォーマンスです。
動画が始まって27秒あたりでコステロさんが くすっと笑い そしてバカラックさんが手を叩いて笑っておられるシーンがございます。お見逃しなく。

英斗さんにこの動画を観ていただいて 何故バカラックさんが笑っておられるのか教えていただきました。
英斗さんによりますと、コステロさんが「こういう時のスピーチはたいていが 誰かが作った文章を読むだけなのだが 今回は私が考えた文章です。」ってお断りなさったかららしいです。

先の記事ではバカラックさんの初代奥さんをご紹介できましたが 今回は一番新しい(!!)奥方様も登場なさっています。5分17秒あたりからです。

英斗さん、もしよろしければ バカラックさんのスピーチやコステロさんがどんなことをおっしゃっているか お暇なときお教えくださいませね。

前にご紹介したのは少し画質もよろしくなかったのですが 別アングルから撮影されたのも見つけましたのでここでご紹介しておきますね。

最後になりますが バカラックさんを紹介する動画だと思います。普通であれば これを最初に置くべきであったかもしれませんが この拙ブログにお越しの方は すでにバカラックさんをよぉくご存じの方達ばかりだと思いましたので
こういう配置とさせていただきました。

それから今回も気軽に私の要望に応えて 翻訳をしてくださった英斗さんに感謝したいと思います。ありがとうございました~~。

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ミスター・アーサー

いよいよネタが・・・・。と言う今日頃頃でございます。

東京オリンピックが2020年に開催されると決定した ちょうどその日に私はあるでおさんのブログ「いつもあなたとバカラック」で記事を発見いたしました!!

な、何とバカラックさんの自叙伝が翻訳されるそうであります!! 今あるでおさんのブログからアマゾンへ予約してきました。

夢が叶いました。東京オリンピックが「開催」ならば バカラックさんの翻訳本には「快哉」ですね、あるでおさん。

残された夢が 今度バカラックさんが来日されたときは あるでおさんと私で「出待ち」をやってこの本にバカラックさんのサインをいただくことだけとなりました。サインがいただけたその時は二人で「喝采」でんなぁ・・・。

さて、ネタ切れかけの私・・・なのであります。ついに禁断の領域に入ってまいりました。つまりは 私のブログでは取り上げないと宣言していました バカラックさんの超有名曲をご紹介させていただきます。

と、まあ 申し上げてもすでに 「小さな願い」を数度取り上げもしていますし、「恋よ、さようならも」何度か・・・ってことですでに前科持ちなのでありますから 気にしない、気にしないhappy02

今回の作品には多くのバカラックさんのファン方々やや多くの(?)まったりブログのファンの方には ご満足いただける作品であることには自信をもっております。
イントロの部分だけで見終わらないで最後までご覧くださいね。


途中2箇所ほどハモる部分があるのですが これは今までに無かったフレーズなので多分彼らのオリジナルだと思うのですが 聴いていて気持ちよくって 何度も何度も聞き返していますよ。

さて、次はギターと歌がクリストファー・クロスさんです。・・・って 当たり前やんとおっしゃる方・・・・ピアノは何とダドリー・ムーアさんなのであります。ご自身が出演なさった映画の主題歌を演奏されておられるのです!!映画の中でのダドリー・ムーアさんは酔っぱらいの役柄でずぅっとネチャネチャした台詞回しであまり好感は持てなかったのですが あくまであれは演技だったのですね!! 真面目に演奏なさっておられます。

ちょいと調べてみましたら ダドリー・ムーアさんはウィキぺディアによりますと
 (前部略)大学時代、ムーアはジャズに強く興味を持つようになり、すぐに名ジャズピアニスト、作曲家となり、ジョン・ダンクワースやクレオ・レインといった一線のミュージシャンたちとともに活動した。1960年にはダンクワースのバンドを『Beyond the Fringe』に参加させた。その後、高く評価されることになる「ダドリー・ムーア・トリオ」(ドラムはクリス・カラン、ベースはピート・マガーク後にピーター・モーガン)を1960年代に結成した。1963年にはDeccaレーベルより、トリオによる『The Other Side of Dudley Moore』を発表。これは「My Blue Heaven」、「Lysie Does It」、「Poova Nova」、「Take Your Time」、「Indiana」、「Sooz Blooz」、「Bauble, Bangles and Beads」、「Sad One for George」、「Autumn Leaves」という曲を含んだモノラルのLP盤であった。トリオはイギリスのテレビに定期的に出演し、また数多くのレコーディングを行って、ピーター・クックのクラブ「The Establishment」にも長期間出演していた。
と書いてありました。
ちなみにこんな作品も見つけました。本論からは外れますがThe Dudley Moore Trio さん達で「 The Look of Love」

さて、最後は現在映画 「ウルヴァリン:SAMURAI」にご出演中のヒュー・ジャックマンさんです。

これはピーター・アレンさんの生涯を描いたミュージカル"The Boy from OZ"の中のシーンでして ピーターアレンさんがTVショーでメドレーの中で歌っておられる動画作品もあったのですが 残念ながら動画の埋め込みはできないので ここにリンクしておきます。
「PETER ALLEN Hits Medley + I Could Marry the Rain」
 他に本田美奈子さんが歌っておられる動画も同じように埋め込み禁止でしたのでご紹介したかったのですがリンクのみ
「Minako Honda & Hi-Fi Set / ARTHUR'S THEME 」

 

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Paula Stwartさん

 記事を書く前に 大変なことになってしまいました。PCが壊れたのか 音が出なくなりました。ここ最近、文字が化けたり、それこそPCが起動しなくなったりなのですが 何とかしのいできましたが 音が出ないと言う症状は初めてでして、古いスピーカーを持ってきて接続したりしていますが ブーンと言う音は出るようになりましたけど、肝心の曲は流れません。

 まあ、それでも文字は順調に入力できますので 今日この様にして記事を書いております。

 さて、今回のタイトルはPaula Stwartさんについてです。 ご存じでしょうか?かつて ポール・マッカトニーさんが4度目の再婚をなさったときは いろんなブログで取り上げられていましたが バカラックさんだって負けておりません!! すでに4回目のご結婚をなさっておられます。

 そして 今日ご紹介するのはバカラックさんにとって初めてのご結婚のお相手がこのPaula Stwartさんなのです。離婚の原因は お互い忙しくてすれ違いだったためとのことなのですが たぶん、それにはウソはないのでは ないかと ヤジ馬まったりは 考えております。

 以前にも書きましたようにバカラックさんはマレーネ・ディートリッヒさんや ヴィック・ダモンさんとのツアーに参加され 方やPaula StwartさんもTV出演にお忙しかったようです。


 かつて アポロが月面に着陸したときは 全米の国民の半分の方が その月面からの中継に釘付けだったらしいのですが 残り半分の方は 「ザ・ルーシーショー」と言うドラマをいつも通り見ていたと 何かの記事で読んだ記憶がございます。それとも 映画「カプリコン・ワン」という映画の中での台詞であったのか ちょっとあいまいです。
 つまりは、最近(でもないか・・・・ 月面からの中継は 作り物で映画スタジオで撮影されたって言う論争がございましたが 当時でもそういう噂が流れており それをちょっと拡大解釈して作られた映画が「カプリコン・ワン」と言う映画だったと思います。「ザ・ルーシーショー」も「月面着陸」も映画スタジオの中で作られた・・・と言う訳ですね。

  さて、横道にそれちゃいましたので、本論に戻ります。
Paula Stwartさんはそのルーシーさんの相方として名を馳せたらしいのですが 私の薄い記憶ではこの「ザ・ルーシーショー」を見ていた記憶がございます。ただ、アメリカでのみ通用するジョークが連発されているみたいで さほど面白くない台詞に会場から笑い声が聞こえるという演出になじめないまま さほど熱中することはございませんでした。

 5分近い動画ではありますが どうぞご覧くださいませ。

 

 彼女が歌える女優さんであることをご紹介いたしましたが ここでお知らせです。音楽的な面でバカラックさんとPaula Stwartさんとの接点はまるでなかったようであります。ご紹介が遅くなってごめんなさい。
 ちなみにこの動画は正確には「ザ・ルーシー・ショー」では無く 「エド・サリバンショー」の中で紹介された「ザ・ルーシーショー」の一部と言った方が良いのかも知れません。

 今回それでも記事にしたかったのは ちょっと貴重なお写真を見つけましたので それをご紹介したかったからです。
動画開始 29秒~43秒当たりまで バカラックさんとの2ショット写真がご覧になれます。ちゃんと画面にキャプションがついておりますので 正真正銘の物であると思います。
 
この動画の52秒当たりから登場されるSteve Lawrenceさんは 1959年に「Loving Is a Way of Giving 」をバカラックさんとハル・デヴィッドさんとのチームで発表なさっています。

 
 
 私の持っている資料はSerene Dominicさんの著書であるのですが この「BURT BACHARACH SONG BY SONG」の巻末に彼がバカラックさんに直接インタビューされたやりとりが 記載されています。その中に、

SD(著者のSerene Dominicさんのこと): Did you cut ever any recordings with your first wife,Paula Stwert? I haven't been able to find any recordings of her,but I've read that you used to be her accompanist.

BB(バカラックさんのことです):No. I played auditions for her.I can't remember anything beyond playing auditions. She had a legit voice and she would do summer stock and things like that.

まぁ、私なりに(英語初心者)訳してみますと、最初の嫁さんに曲は作ったのか?と言うドミニクさんにバートさんは
いや、彼女のためにオーディションのために演奏はしたが 何を演奏したかは思い出せない・・・ということでしょうか?

今回タイトルをご覧になって、新しい歌手さんのバカラックソングかと 思われた方がおられましたら ごめんなさい。ちょっとビックリさせたかったと言うのもございます。
でも、下世話なテーマとなりましたが バカラックさんの初めての奥方さんにまで言及するブログは たぶん過去にはなかったかと思います。まったりならではの記事であればこそだと 自負しております。
 

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