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前田武彦さん。

今も出版されていますが 昔々、両親が定期購読していた雑誌に「暮らしの手帖」があります。広告主をとらない編集方針で編集人の花森安治氏は日常をスカートで生活しておられたちょっと変わった人でもありました。この方は戦時中「欲しがりません。勝つまでは。」の標語を作り出した方でもあるとお聞きしております。「暮らしの手帖」も広告主を取らない理由はメインが商品テストだからだそうです。今でも強烈な記憶があるのは乳母車の商品テストでした。メーカーが出しているテスト結果をまるで無視して、記者さんたちが実際に等身大のそして実際の体重に似せた人形を乗せて町中を歩き回るのです。車道から歩道への段差でのショックとかを与えて壊れる箇所がどこかを調べたりとかテストされるメーカーさんは気の遠くなるような内容でした。

さて、そう言うのも面白く拝見していたのですがお楽しみは この手帖に寄せられるエッセイが割と好きなのでした。
ここには坂本九さんのエッセイなどもありました。(これは連載であったのはしっかりと記憶しています。)

そのエッセイの中で印象が強かったのが前田武彦さんだったのです。連載であったか、単発であったか忘れました。

前田武彦さんは生放送の最後で共産党の議席が増えたことで「共産党、万歳」と叫び番組を降ろされたそうです。それはフジテレビであったのですが 他の民放も右にならえってことで次々と降板させられ しばらく文筆業をされておられたそうなのです。そのときの一つのエッセイだったのかも知れません。

それはまだ前田武彦さんが放送作家をされていたときの事だと思うのですが、どっきりの番組を作られたエピソードを書いておられました。
今時の芸人相手のどっきり番組ではなく、素人さんを対象にした番組で内容は「今時の若い者は」というテーマで陸橋の階段下で大きな荷物を抱えたお婆さんを若い人がそれを見てどう行動するかっていうどっきりなのでした。もちろんこの時点では前田さん達スタッフには若者は無視するだろうという予見でもって番組づくりに入るのですが 何とまぁ、ほとんどの若者はお婆さんの荷物を持ってあげ、手を取って階段を一緒に上っていくシーンばかりなのです。中には向こう側から降りてきた若者がわざわざまた一緒に寄り添ってお婆さんと上っていく若者もいたとか・・・。

そのラッシュを見ていて前田武彦さんは自分の独断と偏見を正直に文章の中で反省されておられたのです。当然企画としては失敗であった(目論見とは違ったわけですから)のですが 前田さんはこれを放送されることを決心されたそうです。

そしてこの番組のバックにはバートバカラックの「愛を求めて」しかないと決心されたそうなんです。ビートルズさんの「All You Need Is Love 」ではなかったのもちょっと嬉しかったかも。

両親がこの雑誌だけは何故か廃品回収には出さず ずっとため込んでいたため割と遅くになってからでも押入から引っ張り出してきては読んでいたのです。
従ってこの番組を見たわけでもないのでどんな風だったかのかはわかりませんが 見てみたかったです。
私がバカラックさんを知っていたときに読んでいればよかったのですが バカラックさんに出会う前にすでにバカラックさんについてこういう文章を書かれていたことに驚いたのです。前田武彦さんについてのテレビでの記憶はほとんどありませんでしたが この文章だけは今でも覚えています。

ご冥福をお祈りいたします。合掌。


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